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厚く重い雲が流れて また流れ来て・・・ [おぼえがき]

今年は昨年に比べて 花暦がまた更に早く巡って来ているように思える。例年なら他と比べてやや遅い近所の公園の菖蒲池も咲き始めが早まっていた。水無月になってすぐ見に行った菖蒲池は満開に近い状態だった。

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雨の季節は紫色が似合う。そう思うのは子供の頃に
すり込まれたからだろうか。紫陽花もそんな色合い。
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狭い庭の通路にも淡い紫が開いた。
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雨降りまえ。十分に湿気を味方につけたか?
花も葉も勢いよく咲き誇る。
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梅雨に入り 一瞬 陽射しが差し込んだ時に
さりげない心花(ときめき)を感じた。
変わり映えない追われるような生活感が よりそう
思わせるのかもしれない。
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赤い実を見つけた時も。

梅雨空から除くちいさな青空のように そこから現状の生活感の打破や未来の展望をピンチアウトしたい衝動に駆られる。スローモーだったりフリーズしたような状態を見かけることが多くなった親の言動に 無理強いしてしまいそうになることに自己嫌悪を覚える。そうしたところで現状が快方に向かうことも難しいと判ってはいるのに そうさせまいと現状をとどめたくなることを良かれと思ってしまうことに葛藤するばかり。日々嫌な顔をしているだろう自身にもまた自己嫌悪を覚えずにいられない。そしてさらに衝動的になってしまう毎日が嫌なほど判る。

4月の半ばだったか お世話になったお得意さんの訃報が届いた。米寿を迎えても殆どのことをおひとりでこなして生活されていた。ご家族が外出の迎えに来た際に緊急の事態に出くわしたと 事後の便りに記されていた。お元気だったゆえに残念に思う日々が続く。もしそれが親だとしたら・・・ご親族の心を深く察した。仕方のないことと言ってしまえばそれまでだけれど 体の不自由加減がゆっくりとではあるが 進みつつある親のことを手放しにも出来ない。とはいえ己のこの先 生きて行くことも見通しが利かないことにさらに焦りを覚えずにいられない。人に任せきりという選択肢は難しい。いろんな意味で。しかし寄り添うことで宥めるばかりでは 何も解決しないし衰えを助長するのも正直なところ。ため息は増すばかり。そして無理難題を口に提示しがちな己にまたため息。
まもなく老健施設から自宅生活に戻り一年を迎える。己だけでは無いから介護や大切な人を抱える人々の大変さが痛いほどわかる。そういう時に限ってか 多難は重なるようで。しかし立ち止まってもいられない。ひとつづつこなしていかなくては。お気楽ご気楽・・・スマートに生きているように映るものを見聞きするたびに心が荒んでいくようで。

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青い空に浮かぶ軽々とした雲の如く
何時か感じたような 高揚した躍動感に満ちた希望の
ような気持ちは戻ってくるのかな。期待通りには行か
ないとしても それに少しでも近いところに・・・。

梅雨真っただ中の陽気のような心持ちを
乾燥させたい 陽射しのような心花を欲する
細かな雨が降り出した昼下がりの中で。

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春の夜は心揺れるばかり。 [おぼえがき]

新しい年が明けて 松の内くらいはゆっくりしたいと思う間もほとんどななく デイ・サービスのお休みが続いていた親の日々の生活や介護もあって 毎日時間に追われるような生活が続き 年に一度の確定申告の時期もやって来て てんやわんや。1月は行く 2月は逃げる 3月は去ると年度末に突入。いろいろとぼやきながらいたんですが 三月初めに 下腹部の本当に微妙で長い感じる痛みがあったり 尿の状態がよくなかったりしてたんですが漢方薬を服用して症状も無事に治まったのが3月の半ば。判ってはいたのだけれど 自らストレスを判らずにため込んでいたのがおそらくの原因。でも治まってくれてよかった。若くも無いから健康には 十二分に気をつけなくてはいけないなと不養生を感じた。

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オトメツバキ
子供の頃に こんな感じのブローチを見た記憶が。

年を重ねるごとに 時の流れが速く感じるのはいつも思うことだけれど ここ数年花暦の流れも早まって来ているように思えてならない。やはり日本の亜熱帯化は進んでいるのだろうか?

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タンポポも子供の頃は 入学式の時期以降に通学路で
見かけたものだと思い返すんだけれど。

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ジンチョウゲ
淡く清楚な香りが 疲れた気持ちを和ませてくれる。
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ユキヤナギ
そういえば 今年は積もる雪を見ることもなく舞う雪も
ほんの数分見たくらいで。
いくら何でも もうなごり雪
なんてことはないだろうな。
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ソメイヨシノ

そして 彼岸の入前日に住む街でもソメイヨシノの開花を目にした。3月17日午後のことだった。この記事を書いているのは もう数年前から数えるのも知らんふりしたくなった自動年齢更新日の翌日深夜。日が変わる少し前 ふいに飛び込んできた吉報に少し複雑な思いを感じた。二人目の姪っ子の誕生。そろそろだとは聞いていたので なんとなくは気にしていたが その時からの予感は当たった。喜ばしいことだけれど 同じ日に私もひとつ年を重ねたのである。褒められた生き方は残念ながら出来ていないのが正直なところだけれども。私が生まれた年は ソメイヨシノなんか まだまだひと月以上先という寒い頃だったようで 長い年月の中で季節の移ろいも早くなったことに驚くことも。桜の花が開花したばかりのまばゆい春の中に 生を受けた姪っ子が健やかに育ってくれることをただ願うばかり。そして二つ上の姪っ子と共に仲の良い姉妹になってくれるといいなと願う。


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この頃は 焦っても仕方ないと思うようにはなってきた

けれども 同年代が颯爽と活躍する中で このままでは
いけないと 思ったり考えないようにはしているけれど
それも人生なのかと思うことがある。        

人と同じことが正しいとは思わないけれども 負い目を感じてしまうのが嫌で仕方ない。しかし目の前のことを放り出してしまうことも正直出来ない。今年も綺麗に咲いたね!と 毎年花を見上げるように 自分自身も確実な人生の成果をこれから残せるのだろうか。目の前のことをこつこつと地道にこなすことに疑問も感じるのだけれど。立身すること 家庭を持つこと 富や名声を築くこと・・・描いてきたいろんな夢は儚く吹かれゆく。長く曲がりくねった道は 知らぬうちに後ろへ後ろへと続いているけれど こまごま踏み出す やや傾斜のある丘の先に 朝陽のように眩しい光を輝かせる何かが見えるようでありたい。

みだれ舞う花に吹かれる中で           
自身も鮮やかに舞いたいと思いはつのる。
            彼岸中日 今は未明なり。

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高すぎる澄んだ青い空も茜色に色づいて・・・ [おぼえがき]

今年も忙しない時期が近づいてきた。日々時間に追われてしまっているのが なんとも歯痒くて満たされない気分を疲れで忘れさせているみたい。床に入りうつらうつらとしだした時に 余計なことを思い出すと目が冴えてしまって眠りを阻害してしまったと悔やむこともしばしば。しかし それさえ再び来る眠気に消される。次に醒めるのがトイレに行きたくなった時。布団をもう一枚用意しないと駄目かな。晩秋も次の季節に変わろうとしている。

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皆既月食の日もありましたっけ。(11/8[やや欠け月]
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今年は季節の巡りが遅いような気がしていたけれど
植物はちゃんと判っているようだ。

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実りの秋とは言うけれど
今年も自身の実りは儚いと言う以外なさそう。
追いかけてくる時間に波乗りをこなすだけ。
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冬告花が咲き出した。

そろそろ年明けの便りを書こうかなと。
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最後のひと葉が はらりと吹かれる頃
寒い季節のおとづれを知るだろう。

夏を迎えるころに 老健から自宅生活に戻った親に いつも手を焼かされるんだけれど先のことを考えると不安ばかりが過るから 小言こぼしながらその場をつくろう。親が親を世話していた時は 仕事をしながらも もっと余裕があったように思い返す。うまく気晴らしすることも出来ていたようだけれど。それは今の私より十も若かったからだけなんだろうか。それからの年月は第二の人生を謳歌していたように思い返す。私も謳歌することがこれから巡ってくるのだろうか。今は青写真を映し出すのさえ感光しづらく。しかし止まることは出来ない。

さて夕食の準備にかかろうか。つるべ落としの空に急かされるように やや生乾きの洗濯物を取り込む。同じ空のもと 過るにぎやかな声がうらやましく。そんな師走迫る夕映えの中で。

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